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好きな音楽なに? ってお話
最初はツイッターでぽつぽつ呟いてたのですが、あちらだとその性質上どうにもテキストがぶつぶつ切れちゃって論点が不明瞭になりがちだなぁと思ったので、ブログに纏めてみようかと。


「好きな音楽なに?」と聞かれて「ボカロ」と答えることが返答として成立しているのが理解出来ない。

私が概ねこんなことを呟いて、少しフォロワーの皆さんと議論になったわけです。
まぁこれは別にボカロに限った話じゃなくて、東方アレンジ界隈にも同じことが言えるのですが。
「好きな音楽なに?」と聞かれて「東方アレンジ」と答えることが返答として成立しているのが理解出来ない。
こう言い換えても良いですね。ツイッターで呟いた時はたまたまボカロの話題を目にした直後だったからボカロだっただけで。

ここで私が言いたかったのはですね、「ボカロ」とか「東方アレンジ」が好きと言われても、言われた側はどんな音楽が好きか全く分からない、ということなんですよね。
それは知名度や認知度の問題じゃなくて、どちらかというと音楽ジャンルの問題だと思うのですが。

「好きな音楽なに?」と聞かれて「スネア」とか「エレキギター」なんて答える人はちょっとコイツ何いってんのってなるのと同じなわけです。「ボカロ」って答えるのは。
ちょっと東方アレンジは良い例が思い浮かばないのですが、言いたいことは同じです。要は答えになってないんですよね。
「クラシック」なんて答えもある意味それに近いですが、流石にボカロや東方アレンジと答えるよりはイメージが掴みやすいですよね。クラシックと一言いえば、中世西洋音楽から現代音楽への系譜とかが連想されて、長い時間をかけて培われてきた音楽的土台があることが分かるわけで。

でも、ボカロとか東方アレンジと言われたところで、正直困っちゃうんですよねぶっちゃけ。
ボーカロイドが歌唱してればざっくりそれだけでボカロ音楽なわけですし、
東方原曲のメロディを使えばそれだけで東方アレンジと言えちゃうわけで。
条件が緩すぎてそこに括られる音楽の想像なんて一切出来ないんですよね。
ロックもジャズもブエレクトロニカも民族音楽も、その中に括られ得るわけで。

でも、割と最近は「ボカロ」とか「東方アレンジ」が好きと言う人が増えてる。

言っておきますが私はボーカロイドを用いた音楽も東方アレンジも好きですよ。
今は非公開にしてますが、ミク曲作ってニコにあげたこともありますし、今現在は東方アレンジしてますし。

ただねー、特にミクの方にはこの違和感が顕著なのですが、「ボカロ」が好きというのは凄く変な話だと思うのですよ。
先ほどの例にも挙げましたが、ボカロが好きっていうのは、ひとつの楽器が好きと言ってるのと変わりないんですよね。
例えばヴァイオリンが好きで好きでたまらなくて、普段聴く音楽の殆どにはヴァイオリンが入っていたとしても、「好きな音楽なに?」と聞かれたときに「ヴァイオリン」とは答えないわけですよ。
コンポーザーの側だったら、まだ分かるんですけどね。俺はヴァイオリンが好きだから自分の作る全ての曲にヴァイオリン使うよ!とかなら、まぁ普通に有り得るわけです。
でもそれは、飽くまで道具に対する感情なわけです。音楽に対する感情ではないです。
そしてボカロもそうです。ボカロは音楽を作る道具ではありますが、音楽そのものではありません。
「ボカロが好き」という言葉を違和感なく使えるのは、そう考えるとクリエイターの側に居る人間だけなんじゃないですかね、と思うんですよね。
そしてそれは、音楽が好きということではなく、道具が好きと言ってるだけです。
ですから最初に挙げた「好きな音楽なに?」という質問に「ボカロ」と答えるのは筋違いだと私は考えている、というわけなのです。





では、どうして「ボカロ」や「東方アレンジ」という言葉で音楽のジャンルを語ったつもりになってしまうのでしょう。
要は彼らは、そう答えることで一種のグループ意識のようなものを満足させたいと思ってるのではないかな、というのが私の意見です。
つまり彼らが「ボカロ」だとか「東方アレンジ」と答えるのは、実はそこに内包される音楽性は後回しで、先ず「ボーカロイドを用いているか」「東方Projectが好きか」ということを優先している心の表れなのではないかな、と思うわけです。
そしてそれは、それぞれ「道具」と「原典」を問いているだけで、それを用いた作品それ自体については触れてないよねってことになるわけです。
彼らにとって重要なのは音楽それ自体ではなく、音楽を構成する要素なわけですね。
別にそういう音楽を否定するわけじゃないですけどね。
音楽それ自体の価値より、それを共有することに意味があるなんて場合もありますし。
例えば国歌とかは、まぁぶっちゃけて言えば内容は何でもいいわけです。実際国によって曲調も歌詞の内容もてんでバラバですし。でもそれを国民が共通して歌えることに意味がある。
「ボカロ」とか「東方アレンジ」が好きと答える人は、なんというかそういう仲間意識に飢えてる人なんじゃないかなー、なんて考えちゃうのは少し勘繰り過ぎでしょうかね。

でも、これって実は凄く倒錯的なことなんじゃないかなーと思うわけです。
きっとボカロPや東方アレンジャーの方々は、自分たちが自由に曲を作り(アレンジし)発表出来る環境としてそれらを認識していると思うのですが、一方リスナー側は「ボカロ」とか「東方アレンジ」という不毛な括りに束縛されているように見えてしまう。
きっとそれは喜ばしいことじゃないと思うんですね。クリエイターは「自分の音楽を聴いて欲しい」と思うけれど、リスナーは「ボカロ/東方アレンジを聴きたい」と思っているとしたら、これは大きな認識のズレだと思うんです。
リスナー側にとっては先程も言った通り音楽というのは二の次で、まずボカロであるか/東方アレンジであるかが重要になってきている。
これは音楽を聞いて欲しいクリエイターにとっては喜ばしいことじゃないですよね。



ここまで書いて結論です。では結局なにが言いたかったのか。
それはそんなに難しいことじゃなくて、リスナーの人たちにはボカロだとか東方アレンジという括りに束縛されず、もっと多種多様な音楽を聞いて欲しいということです。
まずはJ-POPから始めて、洋楽を聴いたりしてみたり、ボーカルのないインスト曲を聴いてみたり。
少なくともボカロPや東方アレンジャーの中には、「ボカロ曲だけ聞いて欲しい!」だとか「東方アレンジだけ聴いて欲しい!」なんて思ってる人は少ないんじゃないかなぁと思うのです。
ボカロや東方アレンジという括りが、リスナーにとって足枷になっているとしたら、クリエイター側としてはあまり気分の良い話じゃないよねってことを言いたかったのです。
まぁもちろん私という一人だけの東方アレンジ製作者の意見だけを取り出してRoyal Weを主張することが滑稽だとは重々承知してはいますが。

ここでさっきTwitterで指摘されたのですが、ボカロとか東方アレンジという括りが良い方向に働くようになったら良いね、なんて話が出ました。
ボカロや東方アレンジを聴いた人が、その作品を作ったクリエイターの好きなバンドの曲を好きになったりだとか、ジャンルを好きになったりだとか。
そういうことがこれから増えていくと良いなー、なんて私は思ってます。
私も私が好きなアーティストの曲を、私の作品を聴いた人が好きになってくれたりしたら嬉しいな、なんて思いつつ、このアホみたいに長い文を締めようと思います。
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